七夕の行事食とは?そうめんなどのおすすめの食べ物を紹介
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七夕の食べ物とは?
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毎年7月7日は七夕。
七夕は桃の節句や端午の節句と同じく、季節の節目に当たる五節句のひとつです。
この五節句にはそれぞれ行事食というものがあり、ひな祭りにはあられ、こどもの日には柏餅やちまきなどが食べられています。
それでは七夕の行事食、七夕の食べ物とはどのようなものなのでしょうか。
地方によって多少違いはありますが、七夕の食べ物として有名なものはこちらです。- ・索餅(さくべい)
- ・オクラ
- ・そうめん
- ・ちらし寿司
- ・ほうとう
索餅(さくべい)
索餅は小麦粉と米の粉を練ったものを縄のように細長くねじって作ったお菓子で、昔から七夕に食べられていた食べ物です。
古代中国では7月7日に亡くなった帝の子が悪霊となり、熱病を流行らせました。それを鎮めるために好物だった索餅を供えて食べるようになったそうです。それが日本に伝わり、7月7日に索餅を食べて無病息災を願うようになったと言われています。オクラ
七夕の日に神様に備えるという風習から、夏野菜も七夕に良く食べられる食べ物です。
特に夏野菜のオクラを七夕に食べると縁起が良いとされています。その理由はオクラの切り口が星型で、それを食べることで願いを天に届けるという言い伝えからです。
また、オクラは夏バテ防止の食材としても知られており、これからやってくる本格的な夏を乗り切るという願いも込められています。そうめん
索餅は別名として「索麺(さくめん)」とも呼ばれていたのですが、その「さくめん」が時代の流れとともに同じく小麦粉で作られた「そうめん」となり、そうめんが行事食となったそうです。
その他にも、
・七夕の風物詩、天の川にそうめんを見立てた
・そうめんを織り糸に見立てて、織物の上手な織姫のように女の子の裁縫や芸事が上手になりますようにという願いが込められている
・食べやすく栄養が豊富なそうめんで健康を祈る
といった様々なことからそうめんが七夕の行事食になりました。
日本古来より伝わる七夕行事と行事食「そうめん」にちなんで、7月7日は「そうめんの日」と定められています。
色つきのそうめんを五色の短冊にちなんで「五色そうめん」にすると、七夕の雰囲気が出て見た目も華やかです。ちらし寿司
七夕にちらし寿司を食べる方も多いのではないでしょうか。
実は、七夕にちらし寿司を食べるという事に関しては、由来や理由が存在しません。そのため、ちらし寿司は七夕の行事食ではないという見方もあります。
ただ、お祝いをする日にちらし寿司を食べるということなら、きちんとした意味があります。
日本では昔からお祝い事がある時にお寿司を食べるという習慣がありました。
このような習慣から七夕でもお祝いとしてちらし寿司が食べられるようになったと考えられます。ほうとう
長野県内の松本市では、月遅れの七夕である8月7日に「七夕ほうとう」を供える風習があります。
長野県などの信州では、七夕を月遅れ(8月7日)や旧暦(8月16日)にお祝いする地域があり、その日には七夕ほうとうを食べます。 七夕ほうとうとはあんこを絡めた幅広の麺で、小麦が収穫されたことに感謝を込めて甘いものや特別なものを、ということからあんこやきなこをまぶした料理です。
七夕の由来
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ではそもそも七夕という行事はどのような由来があって誕生したのでしょうか。
実は、中国伝来の織姫星(こと座のベガ)と牽牛星(わし座のアルタイル)の「七夕伝説」と「乞巧奠(きっこうでん」に、日本古来の「棚機女(たなばたつめ)」の伝説や、「お盆前の清めの風習」などが結びついたことが七夕の由来と言われています。中国伝来の伝説や儀式からの由来
七夕伝説
天の神様の美しい娘「織姫」は、得意な機織りで天の神様達の服を作る仕事をしていました。
「彦星」という働き者の若者と結婚した織姫でしたが、楽しい生活に夢中になった2人は仕事を怠ってしまいます。
天の神様は怒り、天の川を隔てた東西に2人を引き離して、仕事を再開するように命じました。
しかしお互いの姿を見ることができなくなった2人は悲しみに暮れて、ますます仕事をしなくなってしまったのです。
これに困った天の神様は、1年に1度、7月7日に再会させる約束をしました。
すると2人は会える日を楽しみにして真面目に働くようになり、毎年7月7日に織姫と彦星は天の川を渡って会いに行くようになりました。乞巧奠(きっこうでん)
古代中国では七夕伝説の織姫と彦星の再開を祝い、織姫が得意な機織りなどの技芸の上達を願い(乞巧)、神様に物を備える祭り(奠)である「乞巧奠」が催されていました。
日本古来の伝説や風習からの由来
棚機津女(たなばたつめ)の伝説
たなばたの語源として「棚機津女(たなばたつめ)の伝説」が引き合いに出されることがしばしばあります。
この棚機津女とは織物を作る機械を扱う巫女のことで、神様のための織物を水辺で織るという習慣がありました。棚機津女に選ばれた女性は神が訪れる7月7日の夕刻までに水辺の機屋(はたや)で機を織り、それを神様に捧げます。そうすることで棚機津女は神の妻となって女神として祀られ、巫女としての役目を果たせると考えられていました。
このように現在の七夕行事の内容とはほぼ関係がないものの、「機を織って神様に捧げる」という行為が先ほどの乞巧奠と結びついたことと、棚機津女(たなばたつめ)の名前が7月7日の七夕の由来のひとつと言われています。お盆前の清めの風習
中国から伝わった七夕行事は江戸時代に庶民に広まったと言われています。またその頃、お盆の行事も同じく庶民に広まりました。
旧暦のお盆(7月15日)の1週間前である7月7日に、お盆の準備として精霊棚に供え幡(旗)を立てる習わしがあったと言われています。
この7月7日に飾る棚(たな)と幡(はた)と、中国由来の行事が結びついたことが7月7日に七夕行事が行われるようになった由来のひとつとも言われています。このような様々な伝説や風習が時代を経て合わさっていき、現在の七夕のかたちになりました。
短冊・七夕飾りの意味とは
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昔の人々は天に向かってまっすぐ伸びる笹を神様が寄ってきてくれるものとして崇めており、笹の葉はその優れた殺菌効果から魔除けの効果があるとされていました。
そのようなことから笹を神聖なものとして、願い事を込めた短冊や七夕飾りをその笹に飾ることで天界の神様やご先祖様に届くと信じられていました。
それではその笹の葉に飾る短冊や七夕飾りにはそれぞれどんな意味があるのでしょうか。1. 五色の短冊
当初は五色の糸を飾っていたそうですが、七夕の行事が庶民に広まった江戸時代から五色の短冊が使われるようになりました。
短冊の色は古代中国の陰陽五行説を起源としています。陰陽五行説とは色を自然界すべてのものに当てはめる考え方で、「青(木)・赤(火)黄(土)・白(金)・黒(水)」の五色を定めています。
短冊の色はこの五色を基としており、昔の日本では緑をあおと読んでいたことから青を緑に、縁起が悪いとされる黒を高貴な紫に変えて『緑・赤・黄・赤・紫』の五色が用いられました。
また、陰陽五行説には人が生きる意味で大切な五徳(仁・礼・信・義・智)にも通じるとして、願いごとごとに短冊の色を変えたともいわれています。
・緑(木):「仁」人間力を高める
・赤(火):「礼」先祖や親への感謝
・黄(土):「信」誠実であること
・白(金):「義」義務・決まりを守る
・紫(水):「智」学業の向上
現代では短冊の色まで意識されることが少なくなってきていますが、願いごとによって短冊の色を変えてみても良いかもしれませんね。2. 吹流し
吹流しは5色の糸を針に通したものを飾ったものを起源としており、織姫の織り糸を表しています。そのため、織物(裁縫)の上達という願いが込められた飾りです。また、五色の吹流しを飾ると魔除けになると言われています。
3. 千羽鶴
家内安全や長寿を願う飾りです。鶴は長寿の象徴として縁起の良い鳥とされています。昔はもっとも年齢が高い家族の年齢の数だけ鶴を折っていたそうです。また、その折り鶴の作り方を子供に教えることで教わる心を育てていたと言われています。
4. 紙衣(かみこ・かみごろも)
折り紙や和紙で作った着物や人形の飾り物です。 作った人の身代わりに病気や災難などの災いを受けてもらう厄除けの意味と、着物を着ている形から織物(裁縫)が上達して着物に困らないようにという願いごと、そして最近では人形の形から子供の健康の願いを込めることもあります。
5. 巾着
昔は財布として使われていた巾着の飾り物は金運上昇や商売繁盛の願いごとが込められています。折り紙で作るのが一般的ですが、本物の財布を飾ることもあるそうです。折り紙で作る場合は、黄色や白の紙を使うとより金運が高まると言われています。
ホテル龍名館東京の七夕
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ホテル龍名館東京では、毎年7月7日の七夕に向けて笹を飾ります。
毎年お客様がご記入いただける短冊を用意しておりますので、
ご宿泊の際には、皆さまの願いを込めた短冊を飾ってみてはいかがでしょうか。今年も織姫と彦星が逢えますように…。
龍名館でもお子様の健康とご多幸をお祈りしながら飾っておりますので、ご来館の際はぜひご覧ください。